2014年1月16日2時27分、佐久間正英さんは永眠されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(このインタビューは昨年の9月10日に行われました。)
音楽プロデューサー、佐久間正英さんがブログで書かれた文章で、ショックを受けたのが2012年6月自身のブログにつづった『音楽家が音楽を諦める時』だ。その投稿は、名プロデューサーの本音の告白として、内外で大きな反響と賛否両論を呼んだ。
実際作品の制作予算が非常に少なくなり、かつて1500万の予算が普通だったのが、500万を切ってしまっている。「より良い音楽制作に挑めないのなら僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらない」警鐘を鳴らした、あの時から1年半が経過した。 昨今はご自身の体調問題が大きく取り上げられた。今年同じく自身のブログで末期がんを公表。肝臓や脾臓にも転移している状況も発表し、9月には脳腫瘍の手術を受けたことも明らかにし、闘病生活を続けつつも、日常どおりプロデュースやライヴ活動なども精力的にこなしている。 そんな佐久間さんに改めてご自身の現状や、日本の音楽シーンの現状、そして自ら長きに渡る活動の中で感じとった海外の音楽との壁、そして日本の音楽シーンが今後進むべき道を伺った。
BOOWYの登場で日本のロックは海外と全く別物になってしまった。
鈴木:僕らの世代からすると、今のバンドが殆ど海外の音楽からの影響を受けなくなっている。
そこらへんの起因はどのようなものがあると思いますか?
佐久間:そうですね。僕もそのことがずっと不思議で、時代的にBOOWYの時代、日本のロックが主流になって以降ずっとそうで、確かに日本のロックと海外のロックは全く別物になってしまいました。
鈴木:BOOWYやミスチルの功罪というか、今若いバンドが影響を受けるのが大体この2バンドとかGLAY 、彼らはこれらのバンドのルーツを掘ることをしない。「どうして氷室さんが影響を受けたアーティストまでいかないのか?」広義でいうルーツミュージックに辿りつかなくなっている。
佐久間:情報が無かった故に見えた部分と、情報が多いから偏ってしまう、この両方があると思います。パンクならTHE BLUE HEARTSにしても、本人たちはブルーズの影響が根底にあって、たまたま日本語で歌ったらああいう歌になっただけで、後から影響を受けた世代が過剰に神様に祀り上げてしまっている部分もあるんじゃないでしょうかね。日本のロックが海外の音と別になった背景について、知り合いには佐久間さんがA級戦犯だと言われまして(笑)。あともう一つ最近、北関東の田舎に住み始めて気づいたことなのですけど、日本特有のヤンキー文化の影響というのが大きい。ドメスティックなものになった理由や海外のものを取り入れない風土、あの独特の強さを強調する部分が、海外の感覚からずれちゃっている。こんなこと全然考えたことが無かったんですけど、最近になってよくよく考えると整合性がとれるんです。
鈴木:EXILEとかもその系譜に入りますよね。確かに海外のR&Bとはかなり違った形になっている。よく言われる「日本のヒップホップが上の世代にはちっともかっこよく聴こえない」というのも、僕らの世代的に70年代の日本語のロックはかっこよくないと言われた葛藤と全く同じ状況にあるような気もしますね。ボブ・ディランが出て来て、1969年のウッドストックの時点で日本語がロックに合う、合わないという議論があって、実際はその頃から、日本のロックと海外の音は明らかに違っていた。
四人囃子がピンク・フロイド、プラスチックスがトーキング・ヘッズになれなかった理由がある。
佐久間:そういう意味では例えば自分がやっていた四人囃子がピンク・フロイドになれなかった理由、プラスチックスがB52’sやトーキング・へッズになれなかった明確な理由があるんじゃないかなと思っていて、最近になって、その乗り越えられない何かが「日本と向こうのモノを大きく隔てていた原因」じゃないかと考えるようになりました。
鈴木:それって何なのでしょうか?
佐久間:当事者としても実に難しいのですよ。プラスチックスの後期に、僕がB52sに入る、トーキングヘッズに入るということは出来たかもしれないけど、でもプラスチックスが彼らのようになれたか?というと絶対になれなかったと思うんです。実際、アメリカや欧州のニューウェーヴシーンで、プラスチックスはそれなりに人気もあったし成功もできたと思うけど、やり続けてもああはなれなかった筈です。彼らに比べると非常に脆弱というか、B52’sはメンバーが60歳を越えている今でも全米ツアーをやっているけど、プラスチックスがそこまで長くやる基本体力とか、悪い言い方をすると、そこまでバカになれないだろうと(笑)そんな差があると思うんです。四人囃子にしてもある時期はピンク・フロイドに引けをとらない演奏能力があったと思うけど、しかしあそこまで行けない弱さみたいなのがやはり抜けない。
鈴木:その反面YMOが世界的に成功した前例もある訳ですけど
佐久間:ただ、YMOに関しては、あくまで商業的なやり方であって、リアルタイムで見ていた立場だと、日本のレコード会社のお金を投資して、ライヴを成功させて名前出して、最終的に日本で成功してという。あくまで方法なのですけど、広義で世界的な成功というのとは少し違っていて、クラフトワーク級になれたか?といえばそうではない。プラスチックスは本当に自力でアメリカに渡って、向こうのマネージメントとやっていてライヴも地元のファンで埋まって、その時期は日本で一切力を入れることが出来なかった、そこは違いではあると思います。
鈴木:それでも昔より遥かに日本の文化として理解されるようにはなったと思いますけど、これからのバンドが海外で成功するには?術というのはありますか?
佐久間:文化といえば難しくなってしまうけど、今、結構向こうで成功している日本のバンドもいて、彼らはもの凄くインディペンデントな動きをして成功している気がするんですよね。逆に今、何らかのお金をかけ、売ろうと裏でやると無理な感じがする。本人達だけで自力で頑張ってアメリカツアーをこなしてやっていくと、可能性はあると思う。やはりレコード会社に頼ったら難しい、未だに無駄な制約みたいなことが多すぎて、ミュージシャンが自由に動けない点などは構造的な問題のような気がする。
海外デビューする日本のバンドが世界で成功するには?日本のメーカーは国内だけやるべき
鈴木:あとレコード契約という意味では日本のメーカーは日本の国内だけでやって、海外は海外に任せた方がいいということですね。構造的な問題といえば、今全世界でアナログ盤の売上げが30%以上上がっている、この現状も含めて「レコード・ストア・デイ・ジャパン」(*注)を昨年本格的にスタートしているのですが、この現象を新たな音楽文化として見据えるメーカーが殆どない。海外でアナログレコードが売れていることすら知らない人が現場に多いのが現状です。実際は日本でもレコード針の注文が年々、増えているという現実もあるのですが。多くのレコード会社は定額制=サブスクリプションの議論を未だにしている状態。ただ、聴き放題サービスもまだ海外の売上げ増収になるような成功が無いまま今日に至っている訳で、日本の場合、聴き側としても5000万曲用意したとしても、何を聴いていいか判らなくなるみたいな状況ですよね。
佐久間:普段、本を読まない人が大きな本屋に行って呆然とするみたいな感じですね。
鈴木:売れなくなってきた理由は聴き手が音楽文化から離れている、聴くべき音楽が無いという意見もあるし、ミュージックソムリエとしてはそれを断ち切りたいとは思っています。
エレキギターを超える革新は未だに生まれていない
佐久間:新しい音楽形態というのが生まれなくなってしまったのもあるでしょう。ロックも半世紀、大きな流れが変わったのだけど、その後がなくて、聴くべき音楽はビートルズ、ストーンズを聴いてれば全て済んじゃう。その延長を聴く必要もないので、新しい音楽の必然は薄れていく。それに昔と違ってネットで幾らでも古いものが自由に聴けるので、新しいものを聴く必然性が無く、新しいミュージシャンが例え育っていても、目の行きようがなく埋もれてしまうってこともあるかと思う。
鈴木:その意味ではボカロっていうのは新たな意味を見出す可能性はあると思うのですが?
佐久間:ボカロは自分でもやっていますけど、僕はまだ大きな可能性は感じてなくて、あくまで遊びの延長戦上なのかなと。ボカロがどんどん技術的に進んで行くと可能性はありますけど、今のように一社でやっている状態ではまだ駄目で、競合があって研ぎ澄まされて始めて技術として成功していくものだと思うし。やはりキャラクターを前面に出した形でやっている状況では、あくまでも遊び範疇で捉えられ、本当の音楽ツールとして使えるところまではまだまだ行かない。もっと人間の体をシュミュレートしてこういう体形でこういうサイズの女の人とかと、モデリングをして声を出しリアルタイムで動かせる、ここまで来ると使い道は変わってくるでしょう。あと別の道としては、医療分野というか、声を出せない人が歌えるようになるとか、そういう部分で期待しているのですが、まだ発展途上の状態から抜けられていない。ただ作家や音楽を楽しむ人たちにとっては「歌ってくれる娘が出来た」という意味では意味がありますが、あくまでその段階でしかないかなと思います。
鈴木:音的には2000年代のデジタルロック以降はほぼ音楽の進化は止まったと考えてもいいでしょうかね。
佐久間:私個人としてはエレキギター以降、新しいものは出ていないと思っています。シンセサイザーの登場もエポックメイキングではなくてギターのエフェクターが進化した位のレベルの話で、エレキギターの登場でバックボーンになったことのような変化に比べると小さい事。ポストエレキみたいなものがどうなっていくか?これは非常に難しくてマンマシン・インターフェイスという意味ではシンセはギターほど成功できてない。キーボードの形態から抜けられず、色々なものは試作されているけど現状の開発の歴史上は上手くいってない。僕も色々考えてみたけど、肉体的な衝動をどう具現化するか?というところでシンセはギターに適わないんですよ。画期的なやり方で音をコントロールするものが出てくれば、ひょっとしたら新しいものが生まれる切っ掛けになるかもしれないですけどね。
歌を修正することに抵抗はない ただそもそもの目的を忘れないで使えばいいと思う
鈴木:いい作品が出なくなっている現状を考えると、レコーディングに緊張感が無くなったというのは個人的に感じているところです。今はデータを飛ばしてスカイプで会話しながらレコーディングしたり、レコーディングスタジオで生まれるコミュニケーションが無くなったのも大きいかなと。
佐久間:僕は、その点についてはやりかた次第で道具が便利な方がいいと思う派ですね。ただ道具であるからちゃんと使えるものをちゃんと使う。便利になるとちゃんと追求する人が減ってしまう、たぶん先ほど話しに出たボカロとかもどこまでも追求すれば面白いだろうけど、そこまでやらなくても出来ちゃうんで、中々深いところまで行けない。
鈴木:逆にピッチとかはピッタシにならないと駄目みたいな風潮もあって、例えば今のK-popの制作現場だと、バラバラのサウンドを日本のエンジニアがタイミングやらピッチやらを細部まで丁寧に直して、それをアメリカでトラックダウンして製品化するという工程で、僕はこれはとても音楽を作る作業とは思えないんですが。
佐久間:僕は余り抵抗ないんですよ。それも一つのやり方でいいし、逆に直さない音楽もいいと思うし。僕の場合、70年代からアイドルの歌を直すのもやっている部分もあるからかもしれないけど。ピッチを直すのは、音楽的な矛盾を排除する作業で、やり方によっては、詰まらない音に聞こえることもあるし、凄くいい音になることもある。そもそも何で直すかというと、歌い手のエモーションを残したいというのもあり、たまたまその録音で部分的に音程が外れたから直せばいいじゃんという発想で、そもそもの目的を皆が忘れないで使えばいいと思うんです。